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INUDEPENDENT

INUUNITED(いぬゆな)がサッカー以外の話をする場所です

DQN、他人のこと信用しすぎ問題

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千葉駅前の飲み屋やファーストフード店が立ち並ぶ通り。狭い道路をクラクションを鳴らしながら爆走する車と遭遇したことは一度や二度ではありません。もちろん車高は極端に低いし、ヘンテコなクラブミュージックみたいな音楽を周囲に響かせている。車内には「生まれたときからバカでござんす」みたいな顔したDQN。ああ、なんて幸せな光景でしょう。神よ、いらっしゃるなら的確に、ピンポイントに、DQNのみをめがけて隕石を落としてください。ヨボヨボのおじいちゃんが歩いていても、周りを見ていなさそうな子どもが走り回っていても、DQNがアクセルを緩めることはありません。「どれだけスピードを出しても、必ず避けてくれる」DQNは通行人に対して絶対的な信頼を寄せています。

 

DQNは急ぐ

しかし、彼らはなにをそんなに急いでいるのでしょう。横断歩道を渡るとき、歩行者用信号機が青になるのをおとなしく待っているDQNはいません。車がビュンビュン通っていてもギリギリの隙間を縫って渡るし、道路用信号機が赤になって「あ、歩行者用信号機が青になるな」という0.1秒を削ってまだ赤のうちに渡りはじめる。陸上選手のようなストイックさがそこにはあり、彼らはどうしてもマリオカートのようなロケットスタートを決めたいのです。

そういやマリカーっぽい衣装とカートをレンタルしてる企業を任天堂に訴えましたけど、未だに都内をバンバン走ってるの見かけるし、あんなんも乗ってるやつ観光客とDQNだけだろうという偏見を私は持っています。

 

 

例えば空いてる電車の中。連れと隣に座ればいいものを、向かい合わせに座り、大きめの声で会話するDQN。電車は走行音がうるさいですからね。隣に座れば普通の声量で会話できるのに、わざわざ大声を出してエネルギーを浪費するDQN。車内は空いているとはいえ、たまたまその車両に大声に超敏感ですぐキレてナイフ取り出しちゃうおじさんがいたら、刺し殺されるんですよ。DQN、おじさんのこと信用しすぎです。怖くて怖くて電車で大声で喋るなんて私には無理。

 

そういや昔、ターミナル駅の移動売店でアルバイトしていた時期があります。私がアルバイトしていたせんべい屋は全くやる気がなく、お客さんの呼び込み等は一切しなくてよかったのですが、1店舗だけものすごい大声で呼び込みをしているところがありました。

結局、呼び込みの声がうるさいという苦情がお客さん側から寄せられてしまい、そのお店は呼び込み禁止になってしまいました。当時の噂ですが、どうやら熱心に呼び込みをしていた方たちは劇団員か何かで、時給もらいながら発声練習できるってことで働いていたらしいのです。

その話が本当か嘘かわかりませんが、もしかしたら電車で大声で喋っているDQNはDQNのフリをしている劇団員なのかな、と今思いました。というのは本当に嘘です

 

DQNはサカる

DQNによるナンパ行為などもそうです。日が暮れたころに千葉駅前にでも行けば、そこにはティッシュ配りのアルバイトと入れ替わるようにしてナンパ師の群れが。ドラクエで昼夜が変わった途端、村人の配置が変わるかのように

紳士的なナンパ師(というものがいるのか知りませんが)ならともかく、DQNによるナンパは側から見ていても品がない。声をかける言葉は「お姉さん、今暇?」から入り、語彙もない。そして見境もない。すぐ後ろでナンパ失敗を見ていた女性を即ナンパするバイタリティは評価しますが、その時間を使ってアプリゲーのリセマラしてレア出た垢をオークションに出品でもした方がまだ建設的です。

そして、家でリセマラしてる分には命は安全ですが、ナンパした相手がナンパ超嫌い男に触られたら即クナイで首撥ねとばすくノ一だったとしたら、DQNが迎えるのは無残な死のみ。現代社会にくノ一などいないと思っているDQNたちは、女性を、そして現代社会を信用しすぎです。壁に耳あり障子に目あり。私は今この文章を書いているだけで、くノ一に見つかって首を撥ねとばされてしまうのではないかと気が気ではありません。私には誰も信用できません、誰も……………………

 

私は訴える

ごちゃごちゃ語らせていただきましたが、私はこういったDQNの行動を"DQN、他人のこと信用しすぎ問題"として訴えたいのです。訴えたいのはいいが、どこの役所に訴えればいいか皆目見当もつかないので、こうして自分のブログにシコシコ書いているのです。

しかし誰のことも信用できない私は、なぜこんな文章を全世界に公開しようとしているのでしょうか。もしかしたら、私の中に「他人を信じたい」という気持ちが、ほんの小さなカケラとして残っていて、最後の力を振り絞って、文章を書き、、公開ボタンを、、、、押させて、、、、、、いるのかも、、、、、、、しれません。。。。しかし、、もう、、ここが、限界のようです。。。。。願わくば、、最後に残った、、私の人を信じる心が、、誰かに、、届きますよう…………に………………(完)